文体とパスの精度

最近、村上龍と中田ヒデ関連をよく読むな、俺。
この二人は下手したら親子ほどの年齢差だけど親友や兄弟のような関係らしい。


内容は二人の対談集。
世間に迎合しない二人が、お互いの思想?をサッカーや日常を交えて語ってる。
まとめとしては、何というか心のコアの部分は弱いものなので、自分のスキル(パスや文体の精度)を上げて、
広い意味での自立をしていかなければならないってことかな。
作中の会話も、ためになるなーと思うことが多いです。


個人的に印象に残ってるのは、「憧れる選手は別にいない」っていうヒデの言葉。
別に誰も尊敬に値しない、とかいうことじゃなくて、
イメージする完璧な自分の要素として上手い他の選手を認めた上で、
特定の誰かになりたいってわけじゃない、ってことだと思う。
ちょっと歪曲した解釈かもしれないんだけど、俺が「尊敬する人」をずっと書けないのに似てるのかなと思った。


小学生の時とかって、すぐに「尊敬する人は?」って聞くじゃない。
で、「エジソン」だの「シュバイツァー」だの「両親」だのって書かせようとするでしょ。
当時の俺は「尊敬する」っていう言葉が実感できなくて(今も実感できてないんだけど)、
苦し紛れに当時やってた仮面ライダーの俳優を書いたのね(倉田てつを)。
子供心に格好いいなとは思ってたけど、別にちっとも尊敬なんかしてなかった。


30年生きてきて、「尊敬する人」って思いつかない。
生きている様々な場面で個人に感心することは沢山いるけど、その人を尊敬しているかというと別にしてない。
だからマンセー気味に他人を褒めてるのを聞くだけで気に障るんだよね、俺w
俺の中で「尊敬してる」って言葉から妄信的なニュアンスが拭い切れない。
「尊敬してる」なんて、冗談以外では絶対言わないと思う。


今の仕事場でも、トップの取りまとめの人がすごく仕事できる人なんだけど、
プロジェクトが上手くいったときに「〜さんじゃなきゃコケてた」「〜さんすごい」ってマンセー的に話してて、凄い嫌な気分になった。
俺から言わしてもらえば、それを言ってるAさんもBさんも俺もすごい頑張ったと思うし、もちろんトップの人も頑張ったし、
特定の個人だけがすごかったんじゃなくて、みんなで頑張った結果なんだと。
ある面で言えば、トップの人よりAさんBさんの方がすごかったわけで、それを無視して個人をマンセーするのは絶対におかしい。
だから、そういう意味で、俺は特定の個人を尊敬したり目標にしたりはしない。
逆に言えば、大抵の人をある側面において尊敬して認めてるってことだ。


・・・何か本と全然関係ない話になっちゃったw
まぁ、でも村上龍や中田ヒデみたいな考え方は好きだよ、俺はね。


文体とパスの精度 (集英社文庫)

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