ウラ読みドストエフスキー

カラマーゾフの兄弟」を中断して読んでたのがやっと読み終わった。
っつっても、結構ハイペース(?)で読んだんだけどね。


十七歳でドストに触れた作者が四十年!も懸けて向かい合ったドスト作品への挑戦読み解き本というべきか。
聖なる娼婦ソーニャの処女を買った男の正体や、賢者ゾシマ長老の隠された情婦や隠し子の話などが展開され、
ありきたりの善悪論や非凡人論や無神論などに留まらない。


目を引いたのは、やっぱりラスコーリニコフの非凡人論の解釈で、
「非凡人は人道を踏み外す権利を持つ」って漠然と思ってたんだけど、この「権利」って誰の何に対する権利なのかと思ってた。
人殺ししたって法的に許される訳ないし、どういうことかと思ってたら、「自らの良心に照らして」ってことなのね。
(っていうか、これは書いてあったっぽい。俺が読み落としただけだ...orz)


そうすると、良心の呵責にまったく苛まれないラスコーリニコフは精神の部分だけは非凡人だったのか。
ただ、自分が凡人であると知っていた彼は、只の「法を踏み外した殺人者」になってしまう。
俺は「自分は凡人ではなかったこと(非凡人たりえなかった)」に苦悩しているのかとずっと思ってたんだけど、
もしかしたら「人道の踏み外しに対して、凡人の自分に悔恨の情が沸かないこと」を苦悩してるのかもとか思い始めた。
ミもフタもない事を言うと、「あんたは人殺しです反省しなさい」とソーニャに怒って欲しかっただけちゃうんかと。
まぁ、この解釈がいい悪いはともかく、改めて読み返す気にはなれた。2回目読んだらどう感じられるんだろうか。


これをカラマーゾフを読む前に読んでおいて良かったよ。
また表層的なストーリーだけ舐めて読んだ気になるところだった。
惜しむらくは、「罪と罰」や「白痴」を読む前にこの本を読めなかったことだ。
俺の精神程度ではあらすじをなぞるのが精々だったからなぁ。いやぁ、惜しいことをしたものだ。


とりあえず、カラマーゾフ読んで、「悪霊」読んで、「地下生活者の手記」も読んでみたいな。
で、改めて「罪と罰」読み返してみようかと思う・・・35歳までには。。。


ウラ読みドストエフスキー

ウラ読みドストエフスキー