異能生存体の有害

先日、「孤影再び」のDVDと小説を買って観た。
ま、その感想は後日にすることにして、
小説に書かれていた異能生存体の有害さを「不服従」としていたことに
ちょっと違和感を覚えたので、持論を書こうかと思う。


俺の考えの根底にあるのは、先日の日記で書いた
「異能生存体は作戦を成功させる達成者ではなく、死なない生還者である」
ということである。
つまり結論から言うと、軍隊にとって異能生存体が有害なのは、
本能や遺伝子が、自分の命>その他(命令や仲間の命など) と認識していることにあると思うのだ。


異能生存体理論の提唱者ヨラン・ペールゼンは、生存率の極めて高い兵士を何年もかけて調べ上げた。
その結果、キリコを含む4人を見つけ出したが、その4人は臆病者や敵前逃亡者、裏切り者とキリコだった。
この時点でもうペールゼンはこの理論が役に立たないことに気付いたのではないかと考える。


軍隊は任務を遂行することが重要なので、簡単に言えば単に生きて帰って来るだけでは困るのである。
そういう意味では、あのメンバーの中ではキリコはまだ軍令に忠実だったと思うし、
軍を追われるまでのキリコは概ね作戦に忠実に参加していたように思う。さほど不服従だったとは思えない。


結局、本能のレベルで命を大事にするか、命令を大事にするか、ということにあると思う。
但し、人間には自己防衛本能があるので、そこを変えるのは難しい。
そこで出したペールゼンの答えが、異能生存体の「生き残る(生き残りたい)遺伝子」とは正反対の性質を持つ、
パーフェクト・ソルジャー(=有限な生命の忠実な戦闘兵器)だ。


優れた兵士が命知らずで命令に究極的に忠実であれば、作戦が成功する度合いは高くなるし、
それが人工的に作り出せれば幾ら死んでもよく、また新しく作り出せば良いだけなのである。
単に生きて帰るだけの成果の無い兵士は不要なのである。


・・・というのが、ペールゼンの言った「異能生存体の有害さ」だと俺は解釈している。


次回は「孤影再び」の感想でも書こうかと思う。